やっと晴れたお休み。笑
昨日は『大吉原展』後期に行って参りました。
終わりが近いからか、平日なのにけっこう混んでいました。
なのに、前期にはあった途中休憩用の椅子がほとんどなくなっていて残念でした。
美術館は、休憩しながらじっくり見たいタイプなので後半はちょっと疲れちゃった。
前期は全て見切るのに3時間半かかった大作だったのだけど、全てが入れ替わるわけではないので後期は2時間ほどで見れました。
吉原遊廓における歴史の大きな流れをくまなく取り扱った印象を受けた前期。
後期は、それに基づいたもっと細部な、とりわけ遊女たちの豪華絢爛な姿と人権によりフォーカスしている印象を受けました。
とにかく、浮世絵に描かれている遊女たちの装いがどれを取っても本当に華やかで美しく、春には桜の木を大通り一面に植える様子や、宴やら花魁道中やら、目も綾な風景に満ちた屏風や絵巻からは、当時の賑わいの声が聞こえてきそうなほどです。
後ろが透けて見えるほど透き通ったべっ甲のかんざし、重厚で壮美な打掛、流行りの紅や白粉。
昼と夜の営業で休息の時間はほとんどなく、食事も充分ではないにも関わらず、美と威厳を保つために少しも気の休まることはなかった日々の辛さは、想像の範疇を優に超えます。
芸事を習うのには、幼い頃からその道の師匠に仕込まれるそうで、琴や三味線や読み書きも、寝る間を惜しんでお稽古をし教養を身に付けていった様子が当時出版されていた絵本の中に記されていました。
すごい努力…( )
ひたすら脱帽です。
けれど、大きな溝川で完全に隔離された街並みや、滅多に外出をすることが許されなかったことや、客から性病を移され薬を飲む遊女や、現実逃避の一心から遊女による放火や、そんなことが日常に当たり前にあったということが、浮世絵の彩度の高さの裏には潜んでいて、あくまでも史実から目を逸らしてはいけないことをまざまざと思わせる展示品の数々でした。
通期、主旨が一貫していて素晴らしかった。
ただ、吉原外で客引きを行っていた娘を幕府は吉原に送還したそうですが、それは人身売買とはまた別として、合理的であったと思いました。
元々は、治安維持の役割も担っており、遊郭はその規則の基で公認されていたはず。
コロナ禍以降、p活やら立ちんぼやらが急増して(これだけが理由ではないけれど)万年閑散期となってしまった性産業界隈に元の潤いを戻すべく、日本政府は直ちに、健全に営業をする全風俗店を公認し、外野で荒稼ぎをする輩をしかと取り締まって頂きたい所存です。笑
他には、お客についても資料が何点かあって、武士であっても刀は預けなければならず、舟で川を渡って(今で言うタクシー)吉原に行くのが粋とされ、上客と呼ばれる馴染み客は、お店を貸し切ったりお正月にはお気に入りの遊女に布団を3枚も新調して贈ったりと、ずいぶんと羽振りが良かったようです。
馴染みの上客には、身請けを夢見たことでしょう。
遊女が朗らかな表情を浮かべて貝合わせで遊ぶ、一枚の浮世絵。
貝合わせは一対になる絵柄としか合わせる事ができないことから、貞節や良縁の象徴とも言われ、遊女にとっては良客との縁が重ねられたのでしょうか。
貝殻には、琴を弾く姫を籬からそっと除く男性の姿が。
連ねられているのは、
『我庵は 都のたつみしかぞ住む 世を宇治山と 人は言ふなり』
という、“世俗を捨てて穏やかに暮らしている”という意味の、出家をした僧侶の和歌。
この遊女は貝合わせをしながら自分の馴染み客に思いを馳せたのか、ここを出て、想う馴染み客と静かに暮らしていきたいと願ったのでしょうか。*
遊女にとっては、馴染み客との時間が、苦界だった吉原では最も報われるひとときだったのかもしれませんね。
でも、確かに。
ご贔屓様が来て下さった時の安心感はハンパない。
私の本指様は皆様、エリートジェントルマンだから本当にほっとする。
最近は暑くなってきて気分が高ぶってるからか、乱暴な人がボチボチ出没し始めてきたから尚更…。
大変な時でも本指様にお会いできると、すーっと気持ちが楽になって潤うから不思議。
皆様のお心遣いにいつも助けられています。
本当にありがとうございます。
一昨日来て下さったご指名様も、とっても穏やかで清潔でお優しい紳士様で、楽しい時間を一緒に過ごすことができて、本当に嬉しかったです。
本日も、ルールとマナーを守って遊んで下さる清潔な紳士様とたくさん出会えますように。(切実←)
ご指名、お待ちしております。*゜
…しの
p.s.
鏡のお部屋を使って下さって、たくさんお褒め下さって、ありがとうございました。
すべすべのパイ〇ンち〇こ最高でした…笑
またいつでもお待ちしております。